一歩先行くおもてなし!ホテルの愉しみ方教えます

ホテルは近代社会の成長と共にある!近代日本のホテルの動向とは

近代ホテルが歩んでいく出発点は1964年に開催された東京五輪だといわれています。というのも、戦後の焼け野原だった東京にオリンピックが行われるのに伴い全世界94ケ国から5560人の選手団や役員団、さらに各国のVIPなどが押し寄せるなか、外国人を宿泊させるホテルというものがほとんどなかったからです。

その後、官民一体で東京にてホテルの建設が大急ぎで進められることになりました。その際に建設されたホテルが、1962年にホテルオークラ、1963年に東京ヒルトン(現・キャピタルホテル東急)、ホテルニューオータニ、羽田東急ホテル、東京プリンスホテルなどとなります。

その後にくる高度経済成長で日本は製品を海外に輸出する貿易立国になり、その相手先の外国人が来日した際の宿泊場所や会食、そして商談の場所としてホテルは大いにもてはやされました。このような法人の利用がホテル産業の勃興期の成長を支えることになったのです。

さらにその後、庶民の所得が増え、時短や完全週休二日制も進み、人々が余暇を楽しむ時代が到来しました。そんな中、大阪で「大阪万博博覧会」が開催されました。その万博開催期間(183日)中に全国から約6400万人の人々が会場を訪れ、その際にホテルを利用することによって、ホテルが庶民にとって身近な存在になったのです。

万博を見に来る人々以外にも、各国の展示館設営並びに運営スタッフなどの宿泊利用があったため、関西でもホテル建設ラッシュが起きました。その当時に建設されたホテルは、ホテルプラザ・東洋ホテル・大阪エアポートホテル(現在ともに閉館)、千里阪急ホテルなどがあります。

一方、地方の方はどうだったかというと、1964年に開業した新幹線は、1972年に山陽新幹線開通、そして1975年には福岡まで延長し、1982年には東北及び上越新幹線が開業するなど、ほぼ全国を網羅しました。また、航空路線や高速道路などの高速交通網充実も手伝い、全国の県庁所在地など拠点となる都市でシティホテルやビジネスホテルが数多く建設されました。

さらに高速交通網の広がりの中で、日本航空や全日空などの航空会社やJRや東急・西武などの電鉄会社のような異業種からのホテル参入が増えました。しかしながらバブル経済の崩壊により、ホテルでの法人需要が激減し多くのホテルが赤字に転落し、全国の有名ホテルが相次いで倒産するという事態に陥りました。

そんな中でホテル業界に新しい動きが出てきました。それはスーパーホテルや東横インなどの宿泊特化型ホテルの誕生、リッツカールトンやフォーシーズンズなどの高級外資系ホテルの日本進出です。またそれに併せて国内の大手主要ホテルはリストラなどの経営改善や、大規模のリノベーションにより、競争力を高めていきました。

2006年以降は少しずつ景気も回復傾向に向かい、減っていた法人の宴会やレストラン利用も増えつつあります。2008年のリーマンショックなどありましたが、現在では円安での訪日客増などにより主要都市のホテルを中心に春が訪れています。